白藍塾樋口裕一の小論文・作文通信指導

第13話:ウソつきは作文上手のはじまり


ウソのすすめ


tokoton-13a.jpg小学生に「作文ではたくさんウソを書いていいよ」と指導すると、教育上よろしくないと多くの親御さんから反感を買うことになります。小論文を勉強する高校生や大学生、社会人に「わかりやすく論を展開するためにはウソをついてもかまわない」と説明すると、半分くらいの人は喜ぶのですが、もう半分の真面目な人たちは「ウソをつくなんて不謹慎なことはできない」と頑なに拒みます。ご多分に漏れず、多くの学校の先生はウソを敵視します。


親、真面目な人、学校の先生にとかく嫌われがちなウソですが、私たちは、ウソをうまく活用することで、よい作文、よい小論文が書けるようになると考えています。今回は当塾の考える、作文、小論文それぞれの「ウソの効用」を説明しましょう。


 


作文はエンターテイメント


 当塾の作文教育の理念は「作文はエンターテイメント」と捉えることです。作文を書くときにはとにかくおもしろく書く意識が大切であると説いています。そのことから、「読み手を楽しませるためならウソをついても構わない」と教えています。「もし~だったら」というようなお題の想像作文を書くことに重きを置いた学習内容になっているのは、このような教育理念があるからなのです。これまで延べ7,000人ぐらいの小学生が白藍塾で学んでいますが、多くの子どもたちは、ウソを楽しみながら、意欲的に作文を書いています。書いているのはウソがいっぱいの想像作文ですが、面白く書こうとすることで、言葉、表現、文章構成などの工夫の仕方を覚え、作文力を向上させているのです。そうやって培った作文力はゆるぎない力となり、学校で取り組む行事作文や中学入試作文を書くときの基盤にもなっているのです。「学校で作文をほめられた」「国語の成績があがった」などの家庭から届く数々の報告がそれを物語っています。


 


ウソ日記


 よく小学生の親御さんから「子どもに日記を書かせてみるがなかなか続かない。どうしたらよいか」という相談を受けることがあります。


 そんなときには「ウソ日記」を勧めることにしています。ウソ日記は、その日あった出来事を書かなくてもかまいません。でたらめを書いてもいいのです。日記を「その日あった出来事を記録するもの」と限定してとらえるから子どもは逃げ出したくなるのです。子どももそうそう毎日ドラマチックなことがあるわけではありません。書くことがないのに書かなくてはならない日記ほど苦痛なものはなく、逃げ出したくなる気持ちもよくわかります。


tokoton-13b.jpg平凡な一日を思い出してありのままにつづるより、机に向かったそのときに、あれこれ思いをめぐらして、面白いウソの話を書くほうが意欲的に取り組めるでしょう。魔法の国を旅した話を書いてもいいですし、透明人間になって好きな女の子のクラスに忍び込んだ話を書いてもよいでしょう。日記を、毎日の観察記録と捉えるのではなく、表現や創造、まさにエンターテイメントを楽しむ機会ととらえるのです。


楽しみながら、作文を書く習慣が身に付き、そのうえ、力もつけられます。ウソ日記は小学生の家庭学習としてぜひおすすめしたいですね。


 


自分の本当の意見にこだわらない


 次に小論文におけるウソの効用を見ていきましょう。


小論文とは、ある問題に対し、イエスかノーかのどちらかの立場に立って、自分の意見を主張する文章です。たとえば、「日本の英語教育ではもっと会話を重視したほうがよいか」といった課題であれば、「重視すべき」「重視する必要なし」のどちらかの立場に立って意見を書けばよいのですが、このときに、「自分が本当に思っている意見」にとらわれ、結局誰もが言っているようなありきたりの理由しか書けない人がいます。


当塾では、「自分の本当の意見」に忠実に従うよりも、鋭く、説得力のある論を展開できそうな側に立って意見をまとめるように指導しています。「日本の英語教育ではもっと会話を重視したほうがよい」と感じている人でも、「会話重視反対」の立場のほうが鋭い根拠を示せそうでしたら、そちらでまとめることを勧めます。


 


小論文は頭がいい人に見せるゲーム


小論文は、「自分の本当の意見」を見つめるために書くのではありません。読み手を説得するために書くものです。「へえー、鋭いな」「説得力あるなあ」「自分は反対の立場だったけれど、あいつの意見を聞いたら、立場を変えたくなった」と、こんなふうに読み手をうならせることができたなら、その小論文はうまく書けたと言えるでしょう。塾長が教職員研修などでよく話すことですが、小論文とは「頭がいい人に見せるゲーム」とも言えるのです。したがって、頭がいい人に「見せる」戦略として、本意とは異なるウソの意見を選択することも大いに勧めたいと思います。そのような遊び心が、ときには誰も思いつかなかった鋭い意見に結びつくこともあります。「自分の本当の意見」に固執せずに、逆の立場の意見を考えてみる。そうすることで、新しい視点を発見したり、多様な価値観に気づくことになるのです。


 


ウソから出たまこと


 考えてみると「自分の本当の考え」というのも怪しいものです。日頃から出題テーマについてよく考えている人は別ですが、そうでもない人の場合には、世間一般でよく言われることを「自分の本当の考え」と思い込んでいるだけかもしれません。だから、あえて逆の立場に立って嘘の賛成意見を考えてみると、案外そちらに本当の意見が変わるかもしれません。


小論文を学習していて、まさに「うそから出たまこと」となるのは、実はそんなに珍しいことではないのです。


(2011.1.31)


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