白藍塾樋口裕一の小論文・作文通信指導

第14話:悪い添削から見えるもの


悪い添削とは


添削とは「書き直しのためのヒントを示す行為」です。欠点をずばりと指摘し、そこを改善するためのヒントを書くのが良い添削です。逆に言うと、欠点を指摘せずに、改善のためのヒントも示さないのが悪い添削です。tokoton-14a.jpg


世の中には実に多くの悪い添削がはびこっています。悪い添削をする人には悪気はなく、その人なりに良かれと思って指導しているのですが、結果的には、悪い添削になってしまっているのです。


悪い添削について、もう少し詳しく説明しましょう。いくつものタイプがありますが、ここでは本当によくある3つのタイプを紹介します。


 


文体をいじるのみ


学校の先生にとても多いのですが、児童・生徒の文体をいじろうとする人がいます。時制の不一致や文法的な誤りの修正に異常な執念を燃やし、子どもたちの書いた、あらけずりではあるけれど勢いのある文章をズタズタにしてしまい、無味乾燥なつまらない文章に変えてしまいます。


最悪なのは、それのみに終始し、文章の中身に全く言及しないパターンです。これでは、苦労して作文なり小論文なりを書いた子どもをがっかりさせてしまいます。自分が書いたこと、主張したことを無視されて、内容以前のことばかりを指摘されているわけですから。何か大切な訴えをしているのに、「言葉遣いが悪い」「服装が悪い」と訴えを全く受け付けようとしない生活指導の先生に叱られているような気分になるでしょう。


こういう添削を受けると、子どもは間違いなく、文章を書くことにしらけて、作文を嫌いになってしまいます。


 


価値観を否定する


小論文を指導していると、自分の信じている価値観、思想、信条と異なる意見に出くわすことがあります。添削者はそれを頭ごなしに否定してはいけません。どんなに自分の考えに自信があろうともそれを押し付けてはいけません。添削者は受講者と議論をしてはいけないのです。


たとえば、バンクーバーオリンピック・スノーボード代表の国母選手の公式ユニホームの着こなしについて是か非かを考える小論文問題があったとします。添削者ならば「あいつはけしからん」と考えていたとしても、「国母選手は謝罪する必要がなかった」と主張する小論文を頭ごなしに否定してはいけないのです。添削者自身がどう思うかは別にして、その意見の説得力を出すためには、何が欠けているのか、どこを修正すればよいかをアドバイスするのが添削指導です。添削者は「考えが間違っているかどうか」をジャッジする役割を担っているわけではないのです。受講者の考えにどれだけ説得力があるかを見極め、それをどう改善すれば説得力が出てくるのかを指導するのが、添削者の仕事です。


ついでに言いますと、国母選手の問題のように服装や髪形が論じるテーマになると、校則を盾に生徒の意見を全く受け付けない先生がいます。小論文を生活指導の道具にして、生徒を思考停止に追い込んでいるのと同じです。それではいけません。高校生にとって、考えや感性を共有できる同世代の者が世間を騒がした問題を、イエス・ノー両面から考えることは社会への関心を高める千載一遇のチャンスのはずです。このチャンスを活用する機会があるのなら、それは絶対に活かすべきでしょう。


 


感想しか言わない


添削者を目指す人は、文章を書くのが得意な人、好きな人が多いようです。学校で作文や小論文の添削指導を受け持つことの多い国語の先生も、文章上手、文章好きの人が割合的に多いと言えるでしょう。添削指導は言うまでもなく、作文を書いた受講者のためのものです。それなのに文章上手、文章好きな添削者の中には、添削を自分の文章力を披露する機会と勘違いしてしまう人がいます。受講者の書いた作文や小論文をきっかけに、自分の思い出話などを書きつづるのです。コミュニケーションの一環としてほんの少し記す程度ならばご愛敬ですが、文章に対する欠点の指摘も改善策の提示もなく、エッセイらしき感想を書いただけでは、受講者の実力向上には全く役に立ちません。真面目な生徒の中には、そこから何か教えを見出そうとして、余計混乱してしまう子もいるでしょう。


白藍塾で添削者の公募をすると、ありがたいことに多くの応募者が集まりますが、彼らの履歴書に添えられた志望動機書を読むと、当塾で講師をすることを文章修業の一過程と捉えているのか、将来文筆業で身を立てる夢ばかりをつづっている人がいます。受講生からお金はもらうけれども受講生の力を伸ばすことにはまるで関心がなく、自己満足を得ることばかり考えているのです。こういう人はもちろん書類審査で落選します。いや、その野心が悪いわけでなく、得てしてそういう人の文章はあまり褒められたものでなく、添削者としての資質もまるで感じられないからです。


 


添削もコミュニケーション力が大事


先日、塾長と話をしていて、はたと気付いたことがあります。それは、添削力を支えるのは実はコミュニケーション力なんだ、ということです。


今回取り挙げた3つの悪いタイプの添削者を、会話の受け手と考えると、彼らのコミュニケーション力のなさが手に取るようにわかります。


tokoton-14b.jpg文体をいじるのみのタイプは、話し手が訴えている内容には全く触れずに、内容以前のことばかりを言う人と言えるでしょう。価値観を否定するタイプは、全く聞く耳を持たずに持論ばかりを主張する人と言えるでしょう。感想しか言わないタイプも、問題の核心には触れずに、自分をかっこよく見せることにばかり関心が向いている人と言えそうです。


どのタイプも相手の訴える内容を正面から受け止めようとしないので、会話が成立しません。訴えた内容を受け取ってもらえなければ、誰だって会話をする気は失せていきます。訴えた内容に基づいて何か言葉を返してくれなければ、相手は自分の訴えた内容を無視されたように感じるでしょう。そうなると、その人との会話を無駄と思い、やがて会話の相手と見なさなくなります。作文・小論文の受講者と添削者の関係も同じです。受講者が書いた作文の中身に関心を示さなければ、その添削者の教えを受け入れようとはしないでしょう。


悪い添削をする指導者にはこのことがわからないのです。受講者の発信した内容をキャッチして、それを返すという基本的なコミュニケーションができないから、いつまでたっても悪い添削をし続けるのです。


 


(2010.2.28)


 


 


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