第3話:質の高い添削は講師の腕にかかっている
講師の質が大事
白藍塾では現在15名の講師が指導にあたっています。まさに少数精鋭の講師陣です。2年に1回ほど講師の公募をします。毎回1~4名の枠に相当数の応募があります。経歴から判断すると相当に優秀な人も多数応募してきます。書類選考、模擬添削、面接、研修と3ヶ月から半年の時間をかけて採用に至るのですが、人材が絶対的に不足しているわけではないので、添削指導者としての資質がない人、白藍塾の講師には向いていない人を無理に採用することはありません。白藍塾は講師の質を重視します。妥協するくらいなら採用者ゼロのほうがよいと考えています。だからこそ、採用活動には時間をかけて、慎重に講師候補者を審査します。
白藍塾のこだわる講師の質とは・・・。いくつかありますが、今回はその一部を紹介しましょう。
添削マニュアルに頼らない
応募者の中には、他で相当に添削指導の経験を積んでいる人もいます。他で添削経験のある応募者はたいてい「添削マニュアルをくれないのか」と聞いてきます。大手の添削業者では添削者の人数も仕事量も白藍塾とは比較にならない多さでしょうから、大量生産型の機械的な添削をせざるを得ないのは容易に想像がつきます。マシンのごとく添削業務をさばくには、「どこそこのコメントは何行書く」「ここには必ず○○と書く」などの事細かな指導マニュアルがどうしても必要なのは致し方ないでしょう。
白藍塾では、講師に指導マニュアルを渡しません。機械的な、金太郎飴のような添削に陥るのを防ぐためです。講師候補者には、研修の最初に樋口式文章指導のエッセンス、添削の心得、講座ごとの指導方針を伝えて、あとは、たくさんの模擬添削に取り組んでもらい、ダメ出しを繰り返します。ダメ出しの中から添削のコツをつかんでもらいます。添削者としての資質のある人ならば、コツさえつかめば、マニュアルがなくても、ずれた指導をしなくなります。
機械的にさばく添削になれている人は、なかなかコツをつかめません。指導のコツをつかもうとする前に、さばくコツばかりに気がいってしまうからでしょう。そうなると、なかなか踏み込んだ指導ができず、あたりさわりのないコメントや字句の訂正のみの表面的な指導ばかりになってしまいます。これでは受講生の力を伸ばすことはできません。
白藍塾では、受講生が書いた内容に踏み込んでこそ役立つ添削になると考えています。踏み込む指導の出来る人、踏み込むコツを会得できる人を講師として採用しています。
指導方針に従って、柔軟に添削プランを考える
白藍塾では、指導マニュアルは作りませんが講座ごとの指導方針はかなり練り上げて作っており、それを各講座の担当講師に伝えます。講師には、指導方針に従った添削プランを考える力、そして、講座ごとに指導のメリハリをつける柔軟性が求められます。
また、全ての講座に言えることですが、指導方針は、時代の移り変わりとともに修正することもあります。受講生のレベルや目的意識が変われば、講師は当然その変化に合わせた指導を考えなくてはなりません。
時代の変化に合わせて、講座のリニューアルや新たに講座を立ち上げることもあります。最近では、読書感想文講座(小学生会員向け)や大学入学前学習指導(大学との契約講座)を新たに始めましたが、こういった新しい講座の指導を担当する講師は、講座内容を踏まえたうえで、指導方針の理解、添削プランの構築が必要になります。
講師には、時代の変化にも柔軟に対応できる力が求められます。
受講生の目線を意識して、添削プランを考える
「最も美しい添削は、一つの絵柄を成しているものだ」
塾長樋口裕一が、講師や学校教職員の研修で添削指導の目指すべき姿を伝えるときに、このフレーズをよく使います。「最大の問題点を指導するためにその他の全ての添削内容が有機的につながっているのが最もすばらしい添削であること」を言い表しています。
添削による「絵柄」は、答案を書いた受講生の理解できないものでは困ります。添削者本人にしかわからない前衛アートのような「絵柄」では添削指導とは言えません。
白藍塾講師に応募する人には、大学院生や大学研究者もいます。こういった人たちは、やたらに難しいことを言いたがる傾向があります。研究論文のような内容を、高校生の答案にびっしり書いて完璧な添削だと思っているようです。受講生は完全においてきぼりにされているため、ただ途方にくれるだけでしょう。
添削者は常に受講生の目線に立って指導ができなくてはいけません。高校生の書いた答案であれば、高校生に通じるレベルで書く必要があります。しかも単に高校生と一括りの見方をするのではなく、学年、学習段階、志望校、答案から読み取れるパーソナリティ、入試までのインターバルなどを考えて、指導する内容、伝える言葉を選べなくてはならないのです。
添削は職人仕事
家も箪笥もお茶碗も、職人の作り上げるものは生活の道具ですから、注文者が気持ちよく使いこなせなくては意味がありません。添削も職人仕事の一種だと思います。前衛アートのような「なんだかわからないけれどもレベルの高そうな感じがするもの」ではダメなのです(断っておきますが、私は決して前衛アートを馬鹿にしているわけではありません、あしからず)。小論文・作文を書いた本人が理解できて、次の学習に活かせる内容でなくてはなりません。
一流の職人の作り上げるものには、道具としての使いやすさに加え、アートとしての味わいもあるものです。ただ、その味わいは、使い心地を殺すものであってはいけません。
添削にも同じことが言えます。一流の講師の添削には独特の持ち味があります。しかし、その持ち味は、受講生の学びを犠牲にするものであってはならないのです。
当塾教務主任の大原理志は、受講生の年齢や受講目的に応じて巧みに文体を変えています。どの世代からも圧倒的な支持を得ているのはこういった自在の添削技術を持っているからでしょう。小学生低・中学年指導の主力講師の柚木利志は、子どもへの独特の語りかけを用いた添削をして、やはりたくさんの支持を得ています。
こういった実力講師の持ち味は、最重要な指導をわかりやすく伝えるためのステップとして、あるいは、その指導を受け入れやすくするための潤滑油として機能しています。つまり、持ち味の発揮が最重要の指導と有機的につながっているのです。
(2009.3.29)
- カテゴリー