文章教育コラム

世界陸上から早稲田スポ科の小論文を思う

世界陸上から早稲田スポ科の小論文を思う

今年は東京で世界陸上が行われる。

走る、跳ぶ、投げる能力を競い合う陸上競技。多種多様な種目がある。跳躍種目であれば、だれもが体育の授業で経験したことのある高跳び、幅跳びから、三段跳び、棒高跳びなどの変わった種目もある。最もユニークと思う種目は競歩だ。アヒルのような滑稽な脚運びで懸命に歩く。走りたいのに走れない。ストレスを溜めながら必死に歩く。一体全体どこの誰が競歩なんて種目を考えたのだろう。取り組んでいる選手は何を好き好んで競歩をやろうなんて思ったのだろう。

そんなことをぼんやり考えながら思い出したのが、早稲田大学スポーツ科学部一般選抜の2022年度小論文問題だ。ヒトの二足走行(つまり普通)の100メートル走の世界記録は100年間で1秒くらいしか短縮されていないのに、ヒトの四足走行の100メートル走の世界記録は10年ほどで3秒も短縮されていることを、推移を表したグラフを用いて紹介している。ここから読み取れること、ならびにそれをもとに考えることを論述しなさいという問題であった。

早稲田スポ科の小論文には毎年共通のねらいがある

「ナニ、この問題?」と試験会場で面食らった受験生もさぞ多かったに違いない。しかし、早稲田スポ科の過去問題をしっかりと分析できていれば、出題のねらいは従来と同じであることに気づけたに違いない。

二足走行の100メートル走は100年かけて10秒台から9秒台に1秒短縮したが、四足走行では10年で18秒台から15秒台に3秒短縮している。このペースで記録が進化していけば、数十年後には二足走行の世界記録を四足走行の世界記録が上回ることになる。人間が最も早く移動するには二本の足を交互に振り出して駆け抜ける以外の身体動作はない。誰もがそう思い込んでいる。しかし本当にそうなのか。出題のねらいはまさにこの点にあり、日常の思い込みを疑う大切さを考えさせることだったのであろう。スポーツは常識を疑うことで進化する。2022年度の早稲田スポ科の小論文問題はその意義を論じさせるための問題だった。思えば、メジャーリーグで活躍する大谷選手の二刀流もまさに野球の常識を覆して成功した例と言えよう。

早稲田スポ科の小論文は、2020年が「科学における疑うことの意味を問う問題」で、2021年が「ほぼ7:3の割合のみがわかるグラフを示してスポーツにおける現状を考えさせる問題」だった。どちらも常識や現状を疑う意義を問うている。過去二年分の出題のねらいを理解していれば、2022年度の問題は、内容こそ意表を突くものではあるが、早稲田スポ科らしい問題であることに気づけただろう。

先日、白藍塾ホームページで「慶応早稲田入試小論文分析」をアップした。この2月に実施された慶応・早稲田一般選抜小論文の問題を解説している。詳しくはそちらを参考にしてほしいが、今年の早稲田スポ科の小論文問題は「大学生は大人か子供かを論じさせる問題」だった。これも常識(この場合は、世間一般における認識)に対する自分の考えを述べる問題だ。出題のねらいはこれまでの早稲田スポ科の小論文問題を踏襲していると言えよう。

常識を疑い、鋭い意見の小論文を書く

常識を疑ってみることは、実は早稲田スポ科対策だけでなく、小論文問題全般において鋭い意見を導き出すための有効な思考法だ。小論文試験を受ける人は覚えておくとよい。

歩くよりも走るほうが速いと誰もが思っている。しかし、歩く技術の進化によって走る記録を破る日が来るかもしれない。そんな常識を翻すロマンがあると思うと競歩の見方も変わる。「走」を超える「歩」の追求というロマンがあれば、競歩の存在価値は向上し、競歩に情熱を燃やす選手も増えるかもしれない。近年日本は競歩の強豪国となっている。東京世界陸上における競歩陣の活躍に目が離せなくなりそうだ。

(和田圭史)

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